まるぴんブログ

日々の出来事とか

叶えてくれるに違いないのに叶えてくれないという絶望

1.潜在意識による願望の叶え方について ・潜在意識による願望の叶え方として、自分に叶えたい願望のイメージを 早く叶えたい時ほど何度も、インプットを行っていた。 すると・・・ インプットすればするほど、なぜか分からないが、 「叶えなきゃ!」「でも叶わない!やばい!どうしよう!」「やり方が悪いのだろう・・」 とすごく自分を追い込んだ状況になっていった。 ・ある日、こんな事実に気が付いた。 潜在意識が願望を叶える方法は、草木が育つのと似ている。 タネを撒き、芽が出て花が咲く、その成長過程を、 早く花が咲け!早く育て!等、早口で罵詈雑言を言い、大声で罵り、 いってるのと同じ行動をしている。 ・そして理解した。 草木は、草木自身の自分のペースで芽が出て、そして花が咲く。 植えた人間が、どれほど育て!と言ったとしても、あくまで 草木自身のペースで成長していく。 早く育て、と言った所で自分でどうにかなる問題では無い。 必ず叶う!というのもおかしい。自分で制御出来るもので 無いのだから、叶う叶わないはその草木次第なのだから、 自分が、「必ず」なにかの事象について、「発生する」と 断言するのはおかしい。 2.なんでそんなにつらかったのか ・盛岡に言っていた時から認識していたが、インプットすればするほど、 自分がつらくなっていった。 考えていたのは、以下のこと。 願望を叶える為には、たくさん願望をインプットしなければならない。 インプットした数で、本当に願望が叶うかどうかが決まるのだから、 何度もインプットしなければならない。 そのうちに、段段と叶わない現実との矛盾が自分の中で大きくなり、 「願望が達成する!」 → 「でも現実は願望実現してない」 というギャップに苦しんだ。 しまいには、「期待する事自体が間違いなんだ・・・もう考えたくない・・・」 という精神状態になっていった。(=夢を亡くす) 期待すればするほど、期待することが裏切られる事に疲れ果て、 精神が磨耗していった。 3.当時考えていた事 現時点だとなんでそんなにギャップに苦しんでいたのか、 サッパリ分からない状態なのだが、思い出すのに、良い例が 思いついたので考察してみる。 例)目の前に建立されている、とても立派な大仏様が、願いを何でも叶えてくれる。 ①大仏様に体を健康にしてもらったとちまたで評判になっている。 ②健康にしてもらうのは、何度も拝みに行って「大仏様、私を健康にして下さいませ」 と何度もお願いしなければならない。 ③叶えてもらえないのは、大仏様に聞き届けてもらえる程、強くお願いを していないからだ。 このような前提があったとする。(まるで以前の自分のようだ) とすると、行動としては、何度も大仏様にお願いする事である。 これを繰り返していくとすると以下のような、精神的働きが働く。 ①この大仏様は自分を健康にしてくれるらしい。どれ、試しに ちょっとやってみるか。 ②「大仏様、私を健康にして下さいませ」。これで大丈夫。自分も健康になるに 違いない。(かなり期待 ③2~3日立つがまだ健康にならない。うーむ。おかしい。まあ、時間がかかって るんだろう。もうすこし待つか。(少し落胆 ④おかしい。1ヶ月も立つのに全然駄目だ。何か方法が間違ってるんだろうか。(落胆と疑惑 ⑤待てよ・・・何度も繰り返さないと駄目だとか言っていたな・・・。 まだお祈りが足りないんだろうか。そうだ、そうに違いない。(少しの期待と疑惑 ⑥よし。100回も拝んだぞ。これで大丈夫に違いない。(少し期待 ⑦④~⑥をループ ⑧叶うはずなのに・・・どうしても駄目だ・・・。少しはうまく行った事もあるんだから 方法としては間違っていないはずなのに・・・もう疲れてきたな・・・。(疲労と怯え ⑨なんか別な方法があるに違いない。その方法が分かるまでちょっと お願いはしばらく止めておこう。(期待に怯え ⑩期待する方が間違っていたんだな・・・。もうやめよう・・・。叶っている人も いるんだが、自分とは違う人種なんだ。そうに違いない・・・。 このように、まるで壁に無謀に何度も突撃するがの如く、 精神的に磨耗していた。(まさに灰) そもそもの間違いとしては、「叶えてくれるに違いない」という期待の押し付け。 何でも叶えてくれるはずなのだから叶わないのはおかしい、という前提そのもの。 自動機械の如く、叶える叶えないはその対象が勝手にやる事だ、自分には関係ない、 という認識が無かったこと。